母が行方不明→55キロ先で無事に保護される。
母が行方不明になった。
検査疲れで今日はゾンビ状態で過ごしていたが急に嫌な予感がし、当たってほしくないのに当たった。
父に母と一緒の時は、多目的トイレを使うよう口酸っぱく言っていたのだが、父は別々に行きたがる。
乗り換えの駅で父がトイレに行っている間に、母は消えていた。
父と連絡が取れないと伯父に知らせ、私に報告があったのは母が消えてから1時間半後。
そういう時は怒らないから、すぐ私に連絡してと父に言い、
すぐ母のスマートウォッチをGPSで探して警察に連絡。
皆さんが懸命に探してくださり、1時間半後に母が見つかった。
居なくなった場所から55キロ離れた場所だ。
母は9000歩近く知らない街を歩き回ったようだ。
お忙しい中、私の自宅まで連れて来て下さった。
会った瞬間母も泣いたし、私も泣いた。
見つけてくださった警察関係の方々には感謝しかない。
夫がおむすびとお茶を買って来てくれて、
母の好物のツナマヨおにぎりを食べてもらった。
怖かったろう母に、とにかく笑ってもらって和ませた。
「お母さん、生きてくれていてありがとう。」
と言って2人でまた泣いた。
母の涙も鼻も出るから、夫がティッシュを持って来てくれ、私がわんこそばのようにティッシュを渡したら母大爆笑。
トイレには行けなかったから、ズボンは冷たくなっている。
飛んできた父が代えのオムツを持っていたので、清拭して私のズボンに着替えてもらい、
父もおむすびを食べて帰宅。
慌てていたので、父はPASMOと画家連盟の証明書も落としたそうだ。
証明書は再発行できるしPASMOもチャージできるが、母の命はそうはいかない。
GPSが機能していなかったらと思うと、本当にゾッとする。
今の認知症の行方不明者は2万人近くになるそうだ。
母の命に関わるので、これからも父が母を連れ出す時は、
ちゃんと多目的トイレを使ってくれるよう何度も何度も言うしかない。
長い一日だったけど、母が生きていて本当によかった。
shishimayu
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