安楽死は生きる希望。長生きが美徳とする日本人の価値観。

 

NHKでは安楽死について、よくドキュメンタリーで取り上げている。

昨日のNHKスペシャルでは持病のある患者は44%が、「長生きしたくない。」とアンケートに答えているそうだ。


私も15歳で、あらゆる関節が腫れて水が溜まり、

ペンを握ることも着替えることも、階段を降りることもできなくなった時は、苦しみから逃れたくて何度も自殺を試みては力がないので失敗していた。


膠原病以外に併発した線維筋痛症患者で自殺者が多いのも、仕方ないと思っている。

(義弟が亡くなった時も、悲しいが発達障害も併せて解放されたのだと思うようにしている。)


夫は子どもの頃から色んな持病もあったが、発達障害がここ何年かで分かった。

生まれた時から生き辛さや希死念慮が強くあったのも、理由がようやく理解できた。


昨日のドキュメンタリーで日本人の医師が、

安楽死を担当するスイスの医師に噛みついていたが、観ていて腹が立って仕方なかった。


この方は患者の本当の苦しみを分かっていない。

「苦しみながら希望を持って生き続けろ。」と言うのは、患者にとって拷問でしかないのだ。


24時間痛みがあるだけで、人間の心はすり減る。

私のように自分のことをするために身体が動かせないのなら尚更だ。


もちろん、それでも生きたい人は何がなんでも生きることを全うしてほしい。

ただ、私も夫も違う。


日本では安楽死を選べないから、仕方なく治療を続けて生きている。

私の場合は曲がりくねった関節は痛みを緩和することしかできず、

「手術もリハビリも積極的治療はできない。」と何人もの医師に言われている。


車椅子ユーザーは「差別を受けることが日常。」と、ある会社の代表の車椅子ユーザーの方が言っていた。

夫も見た目は健常者だが、騒ぐ日もあるので一部の人からは挨拶しても無視されたり差別を受けている。


もちろん中には優しい方もいるが、多様性と言いながら障害者が差別を受けて生きづらい世の中で、

「苦しみながら耐えて生き続けて。」というのは偽善でしかない。

それは言った本人が幸せだから言えることだ。

まず同じ立場になってから発言してほしい。



私の病気は、申請して段階的に手続きを踏めばスイスで死ぬ選択ができる。

ただ夫の発達障害は一部のヨーロッパで安楽死を認められているが、海外からの申し込みは受け付けていない。


母もニコニコ笑顔だが、不穏になったり毎朝ベッドは大洪水、トイレやオムツの失敗で毎日の大量の洗濯で父を疲弊させている。

この3人を残してはまだ当分は旅立てない。


安楽死を選択できるということは、生きる希望に繋がる。

絶望ではないのだ。



shishimayu

ブログランキングに参加しています。

更新の励みになりますので、クリックをよろしくお願いいたします。









人気の投稿